昭和51年07月18日 特別奉修委員会
拍手をひとつ打たせて頂くでも、神さまが受けて下さってあるということを、信じて打たせて頂く時、あだや疎かな打ち方は出来ませんですね。私はもう今朝から頂くように、神様を信ずると言う事は、あのうそういうことだと思うです。ただ無意味に拍手を打つのでなく、神様本当に拍手一つでも、受けて下さるんだと言うところをね、私はあの合楽に一番強い働きがあっている事は、氏子にあのう信じてもらいたいと言う働きが、一杯だと思いますね。
というてなら願うたら願うた通りおかげげを頂くと言う意味事で、またあのうおかげ頂ける筈は有りませんしね。人間の願いが、合楽で行ったら何でんかんでん適うと言うな事ではない訳です。例えばそういう難儀な問題を難儀な問題でも、あの神様の働きと信じさせると言う事です。だからそういう働きがですもう合楽の場合はもう、隅から隅にあのうこう満ち溢れていると言う事です。それを私共がですね、あのう頂き切らんというならもうどうにも仕様がない。
神様はもうとにかくもうどうにも出来ない働きで、もうそれこそひしひしとねあのう感ずるんですよ。皆さんもやっぱそれを感じなさるでしようもん、そこからなら拍手一つでも神様が信じて受けて下さる。先ほど高橋さんのお届けを聞かせて頂よってから、もうほんな事まるきり芝居のごとあんのとっち、もうただ聞きよったら腹が立つごとある問題が夫婦の上に起きてる訳ですよね。それにもうそれを聞きながら長いその時間を、はぁもうこりゃいよいよおかげ間近だなと、心の中で思うたと言う訳なんですよね。
間違いそうないそう言う事でも、一分一厘間違いのない働きだと信じれるということですよ。本当にもう血の涙出るごとあったち言う時には、神様を信じとらん時じゃんね。だからそういう働きが合楽の場合、例えばんなら今日の私がリラックスと言う事を頂いて、しかも何回も頂いて意味が分らない。分からなかったからあのう正教君に聞いたらこうこうだと、そしてなら開かして頂いたところが今日の御理解でしょうが、もういかに神様がほんなこて昨日から言う様に。
こんこんとせっせつとねあのう信じてくれよ、分かつってくれよと神様が手をつかんばっかりに 、言いござる事が分かるでしょうがと言うて、んならおかげを信ずると言う様な事はね、こりゃほんな事じゃないです。なぜってちゅうて人間氏子の我情我欲を、いっちょいっちょそんならそうと言うてから、下さるごたる神様がござりはしまないけれどもです、ござるとするならばこりゃおかしいですよ。だからおかげを頂いて神様を信ずると言う事はおかしいですよ。
もう本当に神様合楽であっておる、いや又起こっておる神様が、あのう生き生きとした働きを、あのう信じてくれよと言われるような働きが、もう合楽のもう全館にねもう漲っている。だから自分がその気で来ると、はぁあ神さまちゃ間違いないなぁ間違いないなぁというものを、何時も感じ取る事が出来る。だから柏手一つでもあだや疎かにゃ打たれんと言う事になるんです。そこまで一つ神様を信じさせて頂いたら、それこそあのうリラックスになるでしょうね。
どうぞ。